重たい扉を開けた先には、夕闇に薄暗く染まった部屋。



派手すぎず地味すぎず絶妙なバランスで色彩を成したその空間の中で一際眼を惹くのは、
窓際に置かれた漆黒のグランドピアノ。
主が姿を消してからも月に一度は調律師が来てきちんと手入れされているそれは、昔から
変わらずその場所に存在している。


俺は短くなった煙草を携帯用のアッシュトレイに押し付けて、鍵盤の蓋を開いた。
脚の細い椅子に座ってピアノに向き合い人差し指でCのキイを押せば澄んだ音が軽やか
に響く。


長らく触れていなかったモノトーンの感触は懐かしくもあり、苦々しくもあった。



だってこのピアノはすべて知っている。
あの人の心も俺の罪も彼女のことも何一つ取りこぼさず、全部。



なぜならこれはあの人のピアノだから
あの人が俺に弾くことを教えたピアノだから



「なあ、お前さ」








いつになったら忘れてさせてくれる?








沈黙する黒檀の表面に映るのは、過ぎた日々の残像。
小さく息を吐き出しそっと蓋を下ろす。






コトンと閉じる音は、ピアノが一粒涙を落としたように聞こえた。