それは、端整な顔をした男だった。
狂い咲きの桜の下、花と同化してしまいそうなほど薄い色彩の瞳がそこにあった。





「綺麗だろ。季節を間違えて咲いてるんだ」





突然のことに私はうん、ともああ、とも言葉を発することができず、ただ頷いて同意の意を示す。
その様子にレンズ越しの眼差しがふ、と愉しげに和らいだ。








ひらり、 と。 花弁が一枚滑り落ちる。








「…まあ、でも、これも一時の幻みたいなもんだからな。
 すぐに散って、すぐに皆忘れる」




そう言った男の表情があまりに哀しげで、抉るような痛みが胸を衝く。
私は手を伸ばして枝に触れ、指先でそっと撫でた。





「私は忘れない。
 いつか色褪せてしまっても、こんな美しいものを記憶から消すことはできないから」





微笑むと男は驚いたようにわずかに目を見開いてそれから に、 と不敵に、どこか嬉しそうに口許を綻ばせた。





「だから、好きだぜ」





名前を呼ばれて腕の中に絡め取られた次の瞬間、さあ、 と風が鳴った。
ぶわりと嵐が起きて、思わず眼を閉じる。








――――― 絶対に、忘れるな。


そうして口唇に微かな熱が、落とされた。








一瞬の眩暈のあと、瞳を開ければ目の前には誰の姿もなく。
頭上ではただささやかに、枝が葉ずれの音を響かせるだけ。





「絶対、ね…」





手のひらに残された、柔らかな薄紅のかけらだけが唯一の、真実。










桜 幻 影     file:1