N o   M e m o r y














想い出はいらないと君は言った。
この瞬間だけあれば、それでいいと。
















誰もいない夜の海は静かだ。
ただ引いては返すささやかな波の音と、砂を踏みしめる僕の足音だけが響く。




立ち止まれば、湿気を含んだ夜風が僕にふうわりとまとわりついて、
それに眼を細めながら、闇色の空に流れる落ちてきそうな星を見つめた。






”想い出はいらないの。ただこの瞬間だけ覚えてて”



いつだったか、二人で来たこの海で君が言った。
彼女が僕の前から永遠にいなくなってしまう、その随分前に。






どうして?と訊ねた僕に、君はとても哀しそうに笑った。
いつかこうなることを知っていたような、今となってみればそんな気さえする。



”想い出はいつか色褪せるけど、『瞬間』は『想い出』よりも強烈に残るでしょう?”

それが自分にとって大事なものならば、なおさらね。






そんな言葉を僕の 『一瞬』 の中に深く焼きつけたまま、君はこの世界からいなくなってしまった。


未だにその声が耳から離れない。
もうあれから指を折って数えるくらいに時は経ったのに、
今でも昨日のことのような気がして仕方がない。



だけどね、
僕にそんなことは出来ないと、今になって気づいたんだ。



呪文のように何度も頭の中で繰り返す君の言葉に、どうしても頷けない僕がいる。
だってこうして『想い出』を辿ってここにいる僕は、
それに縋らなければ歩いていけなくなってしまったから。




こんな僕を見たら、君は何て言うだろうか。
きっと、また哀しく笑ってみせるだろう。









想い出はいらないと君は言ったけれど

僕にはそんな器用なことは、できそうにない。

いままでも、きっとこの先も。