Cry for the moon.














テスト週間に入って、部活のないある午後の音楽室。



を見てると、手塚がまるで月みたいに思えてくるよ」
くすくすと笑いながら、窓枠に背中を預けている乾くんが言った。



「どう言う意味?」
「“遠すぎてつかめない” …同じクラスで二人とも生徒会、他の人間に比べたら随分いいポジションにいると思うけど」

どう?と首を傾けて傍らの椅子に座る私に問いかける。
私は広げていた参考書を閉じて彼を見上げた。

「―――乾くんの言うとおりなんだけどね」



それにしても、手塚が『月』だという比喩はなんて上手いんだろう。
彼が月なら、私はそれが欲しいと駄々をこねる子どもかも知れない。
不可能なこととわかっていて、それでも諦めきれずに泣きわめく子ども。



乾くんの言う通り、自分が他の女の子たちより遥かに恵まれた位置にいるのは自覚している。
友人たちも、「手塚くんと一緒に仕事ができて羨ましい」とか
親友の綾子には、「他の子たちよりも有利なんだよ、わかってる?」と言われたりする。




でも…




「“逆もまた真なり”、か。近い場所にいるから余計にでも遠く思えたりする?」
「…乾くん、いつから読心術者になったの?」
「当たり?」
にっと笑って、ノートに書いておこうだなんて言うんだから、本当にこの人には敵わない。


「・・・だって、追いかけても追いかけても追いつけない」


同じクラスで、生徒会では会長と総務委員長。
音楽や本の趣味が似ていたり、CDや本の貸し借りをしたり。 時には他愛のない会話だってする。
そんな中で彼を知る度にもっと深く知りたい、と思うし、
生徒会の仕事で彼の提案や意見を聞く度に、気づかなかったことに気づかされたりして。
副会長と同様にサポートする立場として恥ずかしくないようになりたいと思う。
いつも一歩先を歩いていくあの背中を追いかけながら、切に願う。
いつか肩を並べて歩くことができるように、
同じ世界を見ることができるように。




けれどそんな願いもむなしく、彼はいつでも私の一歩前を歩いていく。
まるで追いかけっこのように、私は必死に手を伸ばす。
『月』を手に入れたがる聞き分けの悪い子どもの、無邪気さにも似た愚かさで。




「やっと近づいて掴めたと思ったら…」
「“水面に映ったニセモノ” なんだろう?」
相変わらず察しのいい目の前の人物に、小さく息を吐きながら頷く。
なるほどね、と呟いた彼は労わるように私の頭に手を置いてぐしゃぐしゃと私の髪をかき乱す。

「頑張れよ」
「・・・ありがとう」
それから少し微笑んで彼は窓の外に眼を向けた。



秋の始まりの涼やかな風が、カーテンを揺らす。
何とも言えない、心地よい沈黙が流れる。
けれど、それは乾くんのこぼした小さな笑いによって破られた。


「――――
「何、どうしたの?」


グラウンドが一望できる窓から外を眺めている彼の肩が小刻みに揺れている。
大笑いしそうになるのをこらえているらしい。

視線と口許の笑みはそのままで、乾くんが言った。

「そうでもないかもしれないよ」
「え?」
「『月』の話。きっとが思ってるほど難しくない」

意外なことを言われて私は目を丸くする。

「どうして?」
「『月』にも、駄々をこねる子どもの要素が多分にあるってことだよ。だから頑張れ」


それだけ言うと、彼は私の肩をぽんと叩いて音楽室を後にする。
言葉の意味を考えあぐねていた私は呆然と乾くんを見送った。





参考書を片手にとりとめもなくあの言葉を意味を考えていた私は、
あの時グラウンドに手塚がいたことも、
私と乾くんが音楽室にいるのを見て、
外を見ていた乾くんと目が合って彼を睨みつけたことも、まったく知る由はなかった。






title from:モノカキさんに30のお題(配布終了)