“―――――― あなたを拘束します。抵抗するなら殺すわ。おとなしく捕まる気が少しはある?”





十年ぶりの邂逅は嵐のように突然やってきた。
射抜くような眼差しでその唇から紡ぎ出されたのは、抑揚のない声。
記憶と寸分違わぬ美しい響きに胸が疼き、そして突きつけられた言葉の冷たさに微かな失望が波紋のように広がる。
そうじゃない。そんなことじゃない。ずっと聞きたかったのは……































まだ男爵家に引き取られて間もない頃、僕が眠りにつくまであの人はよく本を読んだり歌を歌ってくれたものだった。
そんなある晩、彼女がいままで聞いたことのない歌を口ずさんだ。


その歌は異国の言葉で全く意味がわからなかったが、エキゾチックで物悲しいメロディは彼女の良く通る澄んだ声にとても馴染んで耳に心地よかった。


「それ、なんて曲?」

そう問うと相手は軽く眉を寄せて題名はわからないと言った。
どうやら父親である蕾見男爵の友人に外務省に勤める役人がおり、外国帰りの彼が土産に持ってきたレコオドに入っていた曲らしい。


「何とかいうオペラの中の曲だそうだけど…本当は男性が歌うものなのですって」
「ふうん…」
「お父様がずっと流しているから耳が覚えてしまったのよ。嫌だった?違うのを歌いましょうか」
「ううん。何て言ってるかはわからないけど、綺麗な曲だね。好きだよ」
「ええ、あたくしもよ」


そう微笑んで彼女は「もうお眠りなさい」と僕の額に手を置く。それに逆らわず僕は瞼を閉じて、意識が途切れる寸前まで歌声に耳を澄ませた。
耳の奥に、鼓膜に焼きつけておこうとでもするかのように。











「……佐、……少佐!」
「真木…?」

沈んでいた意識が揺り起こされる。のろのろと目を開ければ、呆れたように腕組みした真木が傍らに立っていた。


「ノックしても返事がないので入らせていただきました。そんなところで寝ていたら風邪を引きますよ」
「大袈裟だな。ちょっと転寝しただけじゃないか」
「そのちょっとが大事につながるんです。少しは心配する我々のことも考えていただかないと」
「はいはい、気をつけるよ。それで?」
「……今日はバベルと一戦交えたあとでお疲れでしょうが、次の計画の骨組みを作っておきたいと思いましたので」
「構わないよ。そうだね、どう」





どうしようか、と口に出しかけたその瞬間。
背後に置かれたオーディオから、前触れもなくあの曲が流れ出した。





弾かれたようにオーディオを振り返った僕に、真木が一瞬怪訝そうな顔をして「ああ」と呟く。





「FMがつけっぱなしになっていたようですね。切りますか?」
「いや。……真木」
「はい」
「悪いが、やっぱりまたにしてもらえるかい?」
「――――――かしこまりました。では」


深い追及もなしに真木は頷くとあっさり書類を持って引き上げて行く。
言わない何かを感じ取り汲んでくれた心遣いに感謝しながら、僕は椅子に深く身体を凭れさせた。





「……久々に本人にも会ったし、夢も見たせいか?」


それにしてはできすぎている、と口元に苦い笑みが浮かぶ。
おそらくFMのクラシック番組であろう。件の曲は本来歌われるはずのテノールの音色で哀切をもってこの空間に溶ける。




「『もう一度聞きたいものだ』、ね……」




あれから数十年経ち、わからずじまいだったこの曲とオペラの詳細は既に僕の知るところとなった。
けれど禁じられた恋に身を焦がす男のアリアは、己の耳には今も昔も全く違う音程で聴こえるのだ。
高く澄んだ、よく通る少女の声で。





「……不二子さん……」





聞きたかったのはあんな台詞じゃなくて。
何度も何度もリフレインして止まない、あなたの歌声だ。



叶うなら、いつかもう一度聞かせてほしい。
この世界から消えて失せる、その時までには。















inspired by:"Je crois entendre encore"「耳に残るは君の歌声」(歌劇《真珠採り》)