桜。
サクラはバラ科サクラ属サクラ亜属に分類される落葉広葉樹で、春に花を咲かせる植物――のはずだ。











(――――、クソッ!)
気分が悪い。足音も荒くキャンパスを歩けば何事かと遠巻きに見ている連中の間から「ああ、あいつが例の」などと声が上がった。
止まって一瞥を投げれば蜘蛛の子を散らすように逃げて行くのを見届けずにまた歩き出す。
新学期、九月。こちらに来てまだ間もないというのに俺のことはとうに知れ渡っているらしい。



結局こうだ。どこに行っても『超度6』の『サイコメトラー』という先入観がついて回る。
それが嫌で日本を飛び出して来たというのに、ここでも何も変わらないのか?



とにかく静かな場所へ。そう思いながら知らぬ間に行きついたのは、学部棟の裏の並木道。
ところどころにベンチが置かれてはいるが来る人間はあまりいないのだろう。時折風が吹き込み、心地よい静寂が落ちている。






(へえ、こんな所もあんだな……)






秋と言っても紅葉には少し早い。夏の名残の緑の葉を見ながら進んでいた俺は、その中にひとつ違う色彩を見つけた。
白とも薄紅ともつかぬ色の花がついている樹。






「桜……!?」






驚いて駆け寄り周囲を見回すが、この樹以外に桜はない。
よく見れば幹に『寄贈 19XX年卒医学部生一同』と書かれたプレートが下げてある。どうやら先輩方の置き土産らしい。
そっと幹に触れ流れ込んでくる情報を透視み取る。






(なるほど、これが『狂い咲き』ってヤツか……)






本来なら今の時季、州の気候は穏やかで少し寒い。
しかし近年の異常気象や台風などの影響が大きく、この樹も夏の間に葉が落ちてしまったようだ。



鮮やかな緑との色の対比。祖国の花を異国で見る違和感。普通人の中に紛れる能力者。
確固たる異端。それはまるで、己の姿そのものではないのか――






「……バカだな。季節間違えて咲くなんて」
「あら、バカっていうのは綺麗な花に対して失礼じゃない?」






不意に聞き慣れた言語が鼓膜をくすぐり、弾かれたように背後を振り返る。
そこに立っていたのは、淡い色をした波打つ長い髪の美女だった。





(いつの間に……)





歳の頃は十八、九? 自分と同じくらいだろうか。ここで俺以外の日本人に会うのは初めてだ。
彼女は「驚かせてごめんなさい」と悪びれた風もなくにこりと微笑む。
それにさっきまでの毒気を少しばかり抜かれ、肩を竦めて見せれば彼女の笑みが深くなった。




「あんまり真剣に見てたから、感動してるのかと思ってたわ」
「感動? してるさ、色んなことに。そのうちのひとつは君みたいな美人に会えたこと、かな」




ついいつもの調子で唇から言葉が飛び出し、おまけに片目まで瞑ってしまう。
そんな俺を見た彼女の眉が微かに顰められるが、笑みは湛えたままで「あの二人の言ってた通りね」と呟いた。






「……あの二人? 何のことだ? 君は――」
どうやら相手は俺を知っているようだが、俺は知らない。
無意識に顔が険しくなる俺のそばを通り抜け、彼女は桜の樹に手を伸ばした。枝を引き寄せる。






「私たちはこの桜と同じだわ。これは『普通』じゃない、『狂い咲き』の桜でしょう。
 明らかな差異を人は恐れる――己の中にないものを、人は見出せないから」






ぱしり。枝が彼女の指先から柔らかく戻される。






「……でも、だからってヒネたままじゃどうしようもないこと、本当は気づいてるんでしょう?」






まるで心の中を透視まれているようだ。心臓が跳ねた。
振り向いた瞳はやはりすべて見透かしていて、その強さに俺は息を呑んだ。
ひらひらと、俺たちの間を花びらが舞う。






「君は、一体――」






誰だ?






ようやく出せた声でもう一度誰何するのを、彼女は綺麗な微笑で返した。






「そう遠くない未来に、会えるわ」






刹那、風が激しい音を立てた。木々がざわめいて目の前の花が勢いよく巻き上げられる。
ざあ、と鳴りながら薄い色の破片が彼女の姿を攫うように覆い隠していく。
反射的に伸ばした腕は僅かに届かない。眇めた視界の端で、また彼女が笑った気がした。






「あなたが私に教えてくれたのよ。『わかってくれる人がいる幸せ』が、あること――――」






最後の言葉は、唸る風に紛れながらもはっきりと俺の耳に届く。
そして一面の花吹雪に俺は目を伏せ――












音が止み再び世界に静寂が落ちた。
瞼を上げれば元の通り並木道には俺の他に誰もおらず、あんなに煩かった風もわざとらしいほど大人しい。






「……俺が?」






そう遠くないうちに会えると言った彼女の言葉を反芻してみても今の自分には到底信じられない。
けれど先程とは打って変わり、不思議と穏やかな気持ちで桜を見つめている自分がいることだけは、確かだった。









桜 幻 影     vision #1